The Pharcyde
オリジナルメンバーはイマーニ、スリムキッド・トレ、ブーティー・ブラウン、ファット・リップの4人。
ファット・リップを除く3人は、ロサンゼルスにおいてダンサーとして振り付けなどの仕事などで本格的に活動していた経緯があり、特にブーティは、ロマイという名で当時日本のダンサーの先端に居た人たちの間でもかなり有名だった。
一方でファット・リップもダンスをする傍ら、ロスのクラブでマイクを握っていて、お互いがクロスする現場で次第にグループを形成していった。
人気が絶頂を迎えたのはその3年後。J.Dillaの斬新なプロダクションとヘタウマで絶妙な歌メロで構成したフック、それに”It’s Nineteen Ninety Five !!”という、
文字にすると何の変哲もない1ライン達が全てを変えた。それがスタン・ゲッツのネタの爆発的ヒットシングル”Runnin'”のリリースであり、ジェイ・ディーのキャリアの重要なポイントであったと同時に、
ファーサイドの人気の黄金期の入り口への到達点でもあった。本国でもそれ以外の国でも、ヒップホップがカルチャー的に大きく成長していた時期にあり、セカンドアルバム”Labcabincalifornia”はジェイ・ディーのサウンドと共に新たなリスナーを開拓し、
ファーストアルバムとはまた違ったカラーの音のトレンドを生むきっかけとなった。
高校生だった当時、日本でもHIP HOPブームだったんだけど、ファーサイドが流行っているなんて全然知らず
スケボーに明け暮れる日々
そんな中、SKATE VIDEO 411に使われていた、Runnin 、DROP、Devil Musicを聴いて、一気にハマったよね。
411の雰囲気出すためにラジカセ持ってって、ファーサイド流しながら滑ってたよね。 なんか上手くなれた気がしてたw
このDROPのPV撮った監督はスパイクジョーンズ 逆再生で撮られててめちゃくちゃ凝ってるので是非見て欲しい
僕の中でスパイクジョーンズっていうと、GirlのSKATE VIDEO MOUSEを撮った人って認識だったんだけど、
マルコビッチの穴とか、かいじゅうたちのいるところなど撮る、有名映画監督だもんな
とまあ、当時はそれくらいの認識だったけど、いろんな音楽聴いていろいろ知っていくと
彼らのデビューアルバム Bizarre Ride II the Pharcydeと2ndのアルバム Labcabincaliforniaは、日本のリスナーの琴線を弾くに十分なだけクールかつポップであり、
日本におけるヒップホップのサブカルチャーミュージックとしての成長速度に、最終的にはまるでカンフル剤を投与したかのような勢いを与えてたみたいね。
今聴いても、全然古臭く感じないのがJ.Dillaのセンスのなせる技なのか